「登記簿謄本は出てくるが
公図上に地番の表示がない土地」
にかかる用地交渉経験談
表示登記しかない土地
相続人多数に対する公共用地交渉を行った30年程前の経験談をお話しさせていただきます。事業の対象となった土地は、登記簿はあるが、公図に表示がありませんでした。その登記簿には表示登記(※1)しかされていません。
判明した相続人のうち地元にお住まいの相続人の方々に集まっていただき、話し合いをしていただきました。この土地が総有的なもので村有林のようなものであることをご理解いただき、現状、公図上には地番が無い土地なので、公図に新たに土地を生み出すことにご協力いただくことになりました。その結果、公共事業で必要となる事業用地の範囲内で、当該土地が全筆買収となる公図上の位置に新たに地番を設定し、公簿面積で用地を取得することになりました。結果としては、総有的であるとして相続を地元在住者に一本化していただき、比較的スムーズに用地取得ができました。
この土地が見つかった最初の時は、用地経験も少なくとても契約にまで至るとは到底思えませんでしたが、多くの時間をかけ、悩み、学んだことにより、用地職員として大きく成長できた気がします。どんな大変なことでも丁寧・地道に取り組めば道は開けてくるという自信がついたからだと思います。
住民登録がされていなかったケース
上記相続人の方の中には、住民登録が無い方がおられましたのでその件も併せて紹介いたします。その権利者の方は山口県に在住されていたのですが、離婚を機に引っ越しをされ、転出届が出されていました。しかし、転出後、6年ほど経過しているのにもかかわらず転入届がどこの市町村にも提出されておらず、転出元では既に職権抹消されており、住所不定となっていました。
そこで、転出届を出された最後の住所地の役所に行き、転出予定先を確認しました。転出予定先の役所には、転入届は出されていませんでしたが、実際には転入予定先にお住まいになっていました。その後、ご本人にお会いし住民登録の方法を相談しました。なぜなら、契約時には印鑑証明が必要となりますが、その印鑑登録の手続きは、基本的に住民登録している市区町村で手続きを行う必要があるからです。
そのため、現在在住している市町村の役所に出向き、事情を説明しました。転入届を出していなかったことから住民登録がない状態で、いろいろと書類を揃えるなどの苦労はありましたが、最終的には、居住の実態があることなどから住民登録を認めてもらうことができました。このことにより、住民登録等することができ、無事、契約することができました。これも、いろいろと試行錯誤して解決できた事案の一つですが、用地事務では、現状を正確に把握した上で解決に向け、具体的に動くことが大切だということを学びました。
(※1)
土地登記簿(登記記録)には、表題部と権利部(甲区及び乙区)が有ります。表題部には不動産の物理的現況が記録され、土地であれば、所在、地番、地目、地積、所有者が記載され、建物であれば、所在、家屋番号、種類(居宅や事務所等)、構造、床面積等が記載されています。ただし、所有者は、甲区に所有権保存登記がされて初めて第三者対抗要件になります。
※補足事項
実務では、「登記簿はあるが、公図上に表示がない土地」に出会うことがあります。阪高プロジェクトサポートでは、対象の土地を特定する手掛かりとして、まずは「閉鎖登記簿」などによる過去の沿革や分筆経緯を調べることとしています。それでも判明しない場合には、「旧土地台帳」を調べる等、更に過去にさかのぼり、昭和30年代以前、大正、明治までの土地の履歴(地番、地目、所有者)など、不動産の詳細な沿革を調査します。過去の分筆等の経緯などを把握することによって土地の特定に向けた解決を目指しています。
公図上に土地がない原因は色々考えられますが、対象の土地を特定することができたのならば、管轄の法務局に地図訂正の申請をすることで、公図に新たに地番を設定することができます。今回紹介した事例では、対象の土地を特定することができなかったため、地元の方々の協力により事業用地内に不明土地の地番を新たに設定することでその土地の取得に向けた解決を図った一例です。なお、阪高プロジェクトサポートでは、手書きで綴られた「旧土地台帳」について、明治時代の用語や単位などの用語解説、サンプルの旧土地台帳を使った解読実習など「旧土地台帳の見方」研修も行っています。詳しくは、阪高プロジェクトサポート研修担当までお問合せください。
私は、阪高プロジェクトサポートに入社する以前に、国交省近畿地方整備局で20数年間、公共用地取得の仕事をしてきました。そのときの経験談「代替地要求」についてお話しさせていただきます。
今回取り上げる「代替地要求」という課題は、古くて新しい課題だと思います。用地交渉を進めていく中で地権者から代替地の要求を受け、この代替地が見つからないことが、用地交渉にあたって隘路の一つとなる可能性は大きいのではないでしょうか。
公共用地を取得する際には、金銭補償をすることが損失補償基準の原則(※2)ですが、努力規定として、権利者から代替地要求があり、それが相当と認められる場合には代替地を探すこととされています。工事計画段階、用地測量・建物調査、公共用地交渉の各段階で、「代替地を用意してもらえないと事業に協力しない」と言われるケースが多々あります。しかし、私は今まで代替地を用意するという約束は決してしてきませんでした。なぜなら、これまでそういう約束をして上手くいったケースは諸先輩を含め皆無に等しかったからです。
私たち起業者は今と同程度の財産価値を持つ代替地を地権者に提供しようとします。しかし、地権者の立場からすると、「この事業が無ければ移転する必要はない。」といった"私は悪くないのに"という被害者意識が根底にある場合が多いため、事業に協力するのだからと、現状を100とすると、移転先で背負うリスクも含め200、300の要求をしたくなるのが当たり前です。そのうえ、人間の本性として、自分が今持っているものはより高く評価してしまいますし、移転するからには今よりも広く、今よりも便利で、と考えがちで、それを事業用地と同じ値段の代替地で実現しようとするわけですから、私たち起業者が提供する代替地を気に入るはずはないのです。まして、起業者はあらかじめ代替地を所有しているわけではありませんから、単なる代替地情報の提供しかできないという弱点もあります。
移転先を自ら探してもらう
とあるガソリンスタンドの例をお話しします。用地測量、物件調査まではさせていただきましたが、権利者は「今、経営が順調です。今と同じかもっと良い場所を提供していただければいつでも協力します」と言いました。この態度は協力的に振舞っているように見えますが、実際にはそうではありません。これは「自分では何もしない。起業者が今より確実に儲かる土地を今の値段で持ってきたら話に乗ってあげる。または、そんないい代替地がないなら高い補償金を払ってほしい」ということを暗に言っているのです。これに対し、起業者としては「金銭補償でお願いします」と、繰り返し説明するのですが、なかなかご理解いただけません。この場合、事業認定を取り収用裁決申請手続を行う旨を伝えると、相手方はようやく本気になって移転先を探し始め、最終的には自分で探してきた移転先に移転してくれました。
このように金銭補償でお願いしますと言っても、代替地を用意しなければ具体的な移転計画の検討に着手しないという権利者がいることは事実です。しかし、代替地や代替地情報の提供を約束したりすれば、提供されたものをひたすら拒否して具体的な移転を考えてくれるはずがありません。権利者に厳しいように聞こえますが、被害者意識を持たず、自分の足で移転先を探し、この機会に新しい事業展開を考えたり、老朽化した施設や設備を最新式に刷新したりすることを検討する権利者が移転後に最も成功しているんです。
ですから、用地交渉担当者の方は、権利者の方の身になって代替地を探していると感じておられるかもしれませんが、それは権利者の真の要求に応えたものではありませんし、権利者の移転先での生活再建を後押しすることでもありません。用地交渉は何年しても厳しいものですが、ご契約をいただき、移転先での生活再建が目に見えたときの達成感は何物にも代えがたいものがあります。この移転を促し、移転先での生活再建を考えてもらうために、起業者が何でもしますというような交渉をしてはいけません。交渉担当者にとって、厳しくても最初にがんばった方がいい成果が得られるというのが私の経験から言えることです。
(※2)「公共用地の取得に伴う損失補償基準」の第6条には「損失の補償は、原則として、金銭をもって補償するものとする。」と記載されています。
墓地の集団移転にかかる
用地交渉の経験談
私は、西日本高速道路に勤めております。近畿から中国四国、九州沖縄までの高速道路の建設・維持・管理をしている会社です。今回ご紹介する事例は、第二京阪道路の建設に伴い移転を余儀なくされた墓地の移転補償についてです。
墓地の移転が大変なのは皆さんわかっていますから、路線計画を立てるときコントロールポイントになるのですが、高速道路のように線形が制限されているとどうしても避けられないものもあります。本件は平成5年に墓地移転についての用地説明会を開催し、現実に移転できたのが平成21年と、16年もの歳月を要しています。墓地の移転においては移転先地の選定及び確保が重要な必須事項です。村落の共同墓地のようなものは誰かが代替地を探してくれるというものではありませんので、どうしても事業者が代替地を探してこなければ話が前に進みません。当該墓地においても当然同様でした。当初、代替地の候補地は3つあったのですが、それぞれ反対運動や地域の千数百名の方たちから反対の署名活動が発生し、どの候補地もあきらめざるを得ませんでした。
村落の共同墓地の移転先探し
当該墓地は、1800年代前半に造られた墓地で、190年ほど経過した村落の共同墓地でした。土地登記簿上の表題部所有者欄には共有地とだけ記載があり、地目は「墳墓地」となっていました。現地の使用状況ですが、昭和の中ごろまでは、その墓地内で火葬もされていたようです。墓地内の個々の墓は縁石で区画されていたものの雑然と配置されていました。墓地全体の面積は公簿上320㎡、実測で1317㎡。区画数は432区画、小さいものでは一辺90cm以下、大きいものでは一辺2mのものもありました。また、使用者数は360名で、そのうち地元在住者の方が262名、府域内の方が87名、他府県の方が11名でした。区画数と所有者数が異なりますが、1人で何区画かを引き継いでいる方もおられたほか、所有者が不明という墳墓もありました。そのため無縁墳墓等改葬公告も行ないました。この墓地の管理者は、地元の方々で構成される墓地管理委員会でした。また、今回の墓地移転のために、新たに墓地移転委員会を設立していただき、主な協議は当該委員会の方達と実施しながら進めてまいりました。
この墓地の移転について私たちがどういう補償をしたかというと、公共施設および村落共同体その他の地縁的性格を有する者が設置し、または管理する施設で「公共施設に類する施設」ですので、「公共補償基準に基づく補償」を行うこととしました。そのためにはまず、近隣地に現在と同じ機能を果たせる代替地を確保し、そこに墳墓を移転して機能回復を図る必要がありました。
しかし、墓地の代替地は単に更地を取得すればいいというものではありません。誰しも、自分の住んでいる近くに新しく墓地ができるのはあまり良い気がしませんし、墓地ができることによって所有している土地価格が低下するのではないか、と気にされる方もいます。また、墓地埋葬等に関する法律を遵守して行う必要があり、墓地建設予定地の周辺100m以内の方に対し、説明会を開催しなければならないとか、近くに病院、児童福祉施設がある場合は、建設許可が下りなかったりもします。それらの条件をクリアして、地元説明会等で理解を求めていくことになりますが、当然、強固に反対する方もいました。しかし、我々は法に抵触するようなことを行っているわけではなく、法や基準に従って墓地造りを行っていくことを粘り強く説明して理解を得ていきました。そして、最終的に墓地移転の代替地となった土地について、地元説明会の議事録を添付して墓地の経営許可申請を行ない、その経営許可を得ることができました。
墓石の集団移転のとりまとめ
そして、その取得した代替地について、西日本高速で造成工事を発注し、現物補償にて墓地の土台作りをさせていただきました。なお、設置されている墓石などの補償は所有者個人に行いますので、こちらは「一般補償基準に基づく補償」を行うことになります。その補償内容は、墓石の移転費用、改葬にかかる費用、工作物や立竹木の移転費用及びその他通損などを個々に積算して補償するというものです。
しかし、個々に契約をしていてはとても時間がかかり現実性が無いことから、集団移転をお願いしました。墓地移転委員会の会長に対し、墓地の各使用者の方から移転補償契約の締結と補償金の請求・受領、物件の移転等の権限を委任していただくことで、墓地移転委員会の会長と事業者が一括で契約を行い、移転を完了していただくという方法です。そのためには使用者全員からの承諾「委任状」の提出が必要となることから、使用者総会を開催し理解を得ました。
ただ、この墓地移転委員会は簡単に作れて簡単に運営できるものではないんです。地域内において信頼されている方々で構成していただく必要がありました。墓地の移転を実施し用地取得が完了するまでに16年もの歳月を費やすことになりますが、その間に諸事情によって、五代に渡り墓地移転委員会の役員が変わられました。結果としては、無事墓地移転ができたわけですが、墓地の移転というのは使用者の方々は勿論ですが、周辺の皆様も含めご協力とご理解が不可欠です。時間をかけて大切に合意を形成する必要があります。
このように一般的には移転対象としない特殊な施設であり周りの人の理解と協力を得るのに苦労した代替地の確保、その後の多数権利者の意思統一に苦労した墓地の集団移転。大変な作業の連続でしたがひたすら粘り強く、誠意を込めて対応してきました。やっている間は苦しいことも多かったですが、やり遂げられたことに対しては大きな達成感がありました。これは、デスクワークの事務では得られない用地屋だけが味わえる醍醐味ですね。最も御苦労頂いた墓地移転委員会の皆様、共に事業進捗に取り組んだ大阪府土地開発公社の方々に感謝です。
土地収用を前提とした
地図訂正およびマンション用地
取得交渉の経験談
用地事務に携わることになってから早い段階で、阪神高速の収用担当を3年間、建設省の収用管理室を2年間、連続で勤務したこともあり、収用を前提とした現場に配属される機会が多くありました。
権利者の懐に飛び込み地図訂正
最初は、関西国際空港の開港に合わせて阪神高速を開通させる目的で、泉佐野の事業用地を取得したときのお話です。私が配属されたときは、自治会が交渉拒否をしている状況で、3年以内に30数戸の工場と家屋を更地化する必要がありました。
農家の人には農作物の話を教わり、工場の人には製品になるまでの過程を教わり、個人事業主の方からは競馬競輪パチンコのことも教わりました。地域に入っていくには、その地域の人たちのことをよく知ることが大切だと教わり、ここで初めて地図訂正業務を行いました。権利者全員との合意方式の地図訂正で40戸程度の境界確認をし、その後、巻物のような図面をもって毎日汗だくで回り、実印と印鑑証明をもらいました。以後、地図が乱れているのを見ても怖くなくなりました。
最初こそ大変でしたが、2年くらい経って、人間関係が密になった頃から、半年ほどで全件契約することができました。その経験で言えるのは、最初にすごく怒る人ほど契約や決断が早いということ、優しくお土産などを持たそうとする人ほど粘るということでした。怒る人ほど真剣に移転を考えていて、やさしい人ほど補償金の額ばかり考えていて、具体的に移転のことを考えていないので上限がないのかも、などと考えていました。それからは怒られることも楽しみの一つに感じられるようになりました。
大規模マンションの収用から任意契約へ
次は、京都の大規模マンションの用地交渉の話です。そのマンションは全部で12棟あり、そのうち4棟が事業に直接支障となっていました。私の配属される前に4棟すべての区分所有権は取得し、残り8棟の方の事業用地の共有持分を取得する段階でした。
共有持分の取得には区分所有建物の専有部分と土地の権利を分離できるようにする「分離処分可能規約」を管理組合に制定してもらう必要がありました。この規約制定には区分所有者の数と権利数の4分の3以上の賛成が必要とされています。しかし、この規約制定の総会が流会し、契約事務を進められないため、阪神高速としては収用手続きに移行することを決めました。
私がこの現場に配属された最初の仕事がこの8棟の人々を集めて行う収用の説明会の司会でした。説明や質疑応答が終わり、この質疑応答が相当に騒がしいものだったのですが、権利者の方々が三々五々帰路に付き始めたとき、何を思ったか私は急にマイクに向かって「皆さん、収用はやめましょう。収用して幸せになった人はいません。収用は避けましょう」と叫んでいました。本心からそう思っていましたが、その場で言うことではありません。自分の言葉でしたが、何か神様の啓示であったように思います。賛成派の人にはさんざん怒られましたが、収用手続きに移行し、164人を相手に収用事務を始めました。しかし、今度は収用委員会がその事務の大変さに辟易し、対象者が10名以下になるまで収用事務は進めないと言い始めました。理事長が事業反対派の方に代わっていましたが、再び管理組合総会を開催してもらい、分離処分可能規約を制定してもらわなければなりませんでした。
最初は交渉を拒否されていましたが、収用説明会での私の叫びがよかったのか、大変な道のりではありましたが、分離処分可能規約の制定を行ってくれ、大半の方とは任意契約することができました。時間をかけてたくさんのハードルを越えたことで、収用されたにも関わらず、その権利者の方々の奥さんたちからは、いつもお茶会にお誘いいただけるような間柄になりました。
この苦難に満ちた用地交渉を通じて、人は誠意をもって接し続ければ変わってくれるという確信が持てましたし、この時の苦労を思い出すとどんな困難でも乗り越えられるようになりました。