今回から新シリーズ「ひとりにならない、ひとりにさせない」が計7回で始まります。このシリーズは田中に1件の相談が寄せられるシーンから始まります。その相談は、「現場に配属された用地職員が辞めてしまう」こと。その相談に田中と博士が答えようと奮闘する形で、話が進みます。
どうしたら退職者を減らし、適切な人材育成ができるのか...?ドラマ仕立てのストーリーの中に、用地職員の退職理由分析や、どうやって育てていくのか、気をつけるべきことなどノウハウが詰まっています。楽しみながら最後まで読んでください。

「何か難しい案件でも抱え込んだのか?」
博士が田中の顔をチラリと顔を見るなり、珍しく声を掛けてきた。
さっきのことが、それほど顔に出ているのかな...と田中は思った。
「きょうは顔に"?マーク"が貼りついているぞ。そんなに大変なのか」
黙っていると、博士は田中の顔を見ながら重ねて聞いてきた。これはもうさっきの電話のことを相談するしかない。田中は思い切って博士に伝えることにした。
「案件のことではないんです。実はさっき〇〇県の□□さんからちょっと依頼の電話があったんですけど、イマイチおっしゃっている意味がよくわからなくて......」
「何か問い合わせか?」
「いえ、研修依頼です」
「それなら、君の本業じゃないか、困ることはないだろう?」
それはそうなんだけど...と田中は少し口ごもってしまった。
何から話したらいいか、さっきの電話の内容を頭の中で整理してから、博士に向かってもう一度話し始めた。
「本業といえばそうなんですが、初めての依頼内容なんですよ」
「どういうことだ?」
博士がさらに突っ込んできた。興味が湧き始めたようだ。
これは受けた依頼のことを相談するチャンス!ヒントをもらおうと思い、さっきの電話の内容を細かく説明することにした。
「Yさんのおっしゃる話では、X県では、新人職員はまず3年くらい本庁勤務をしてもらったあと、現場事務所に異動になるそうなんです。でも最近、用地担当になった職員が次々と辞めていくと。優秀な職員さんたちなのにもったいないとおっしゃってました。今後もこんなことが続くと困るので、現場に配属された用地職員が辞めないための研修をしてほしい。そういう要望だったんです」
博士は口を閉じて顔を曇らせてしまった。どうやら困っているようだ。
実際、そのような研修をうちではやったことがないから、どうしていいのかわからないのはわかる。
「それはまた、大きな話だな。人が辞めてしまうというのは用地研修の話じゃないよ。人材育成や人事戦略の問題で、わが社の研修の範疇じゃない」
「そうですよね。では、Yさんにはできないと断っておきますね。」
これで話は終わると思ったが、博士がすかさず次の質問をしてきた。
「......君はそれでいいと思うかね?」
......えっ?どういうことだろう。
いま、わが社の範疇じゃないと言っていたのに。
田中がもごついていると、また博士が何か話しだそうとしている。仕方がないので、もう少し博士の言い分を聞こうと腰を据えた。

「わが社の経営理念を言ってみてくれるかね」
「また急に。。え~っと、高い技術、スピード、やり抜く心で、三方よしの公共事業を下支え、でしたよね」
「そうだね。 わが社の使命は、失われつつある用地ノウハウを次世代に承継するとともに強化して、これからも必要となる日本の公共事業を早期完成させ、国土の強靭化や災害復旧、コンパクトシティづくり、国際競争力の強化などに貢献 したいということだ」
博士から、スラスラとお得意のフレーズが流れ出た。
このスピードですらすらと口に出すことは難しいけれど、経営理念だからもちろん頭の中には入っている。
「優秀な用地人材があちこちで辞めていくような状態で、我々が望んでいるような将来の日本が実現するのかね?」
急にさっきの研修の話に戻ってきた。
ということは、研修を断るなと言っているのかな...。でも、一応反論してみることにした。
「もちろん、用地人材が退職していくのは何とかしなければと思っています。でも、Yさんから依頼のあったような内容の研修は私どもではできないです」
「できない、と言うのは簡単だよ。しかし、できないことができるようになる。そうならない限り成長はないんじゃないか。今話題の働き方改革しかりだ。単に早く帰ればいいという問題ではない。一人一人の能力を高め、そこで生まれた余裕時間を社員の多能工化に当て......」
あっ、また博士のスイッチが入ってしまった。
早く話を元に戻さないと、働き方改革をテーマにここから2時間付き合わされることになってしまう...。こういうことは敏感に感じ取れるようになってきてしまった。
「博士!要は、研修を断らず、やれるように内容を考えてみろ、ということですね」
「そうだ。断る前に一度、研修のやり方を考えてみたらどうだ。ただ、やみくもに考えてもいい案は出てこないだろうから、当たり前だが、県の担当者からもっと詳しい事情を聴きだして整理してみなさい。とりあえず、若手用地人材が辞めていく理由を突き止めるところから始めてみるのはどうだ?」
でも、なかなか重たい問題だな...と田中は思う。
辞めてしまう理由は、若い世代の育ってきた環境、県の人材育成の仕方、用地部門の位置づけ、現場事務所の人員構成、抱えている地元の状況...。いろんなことが絡み合っている気がする。
性急に結論は出さなくていいから打ち合わせで知恵出しをしよう、と博士は言ってくれたけれど、何から手をつければいいのか皆目見当がつかない。
とりあえず、田中は自席に戻り、ゆっくり考えてみることにした。

博士は、若手用地人材が退職していく要因分析から始めろと言っていた。
ヒアリングをしないとわからないが、わが社では、若手人材は用地部門には配属されていない。仕方がないので、自分なりに要因をピックアップした。
①今の若い人は概して打たれ弱い。親や学校で叱られたことがあまりないので、用地交渉でひどく怒られると対処できなかったり気持ちが萎えてしまったりして、回復できない。
②用地部門では、用地補償の理論や用地事務の内容を学ぶ機会があるが、用地交渉の仕方を具体的に記した教科書やマニュアル類はない。自分に向かって怒る人への対処法や、怒られたときのストレス解消法なんてものを記載した資料がないし、教えてくれる人もいない。マニュアル世代である若者には、耐えられない職場環境となっている。
③昔は用地のベテランの下に付いてカバン持ちとして、そのベテランの用地交渉を見ながら学ぶことができた。今はそもそもそのような先輩が卒業してしまい、見るべき・学ぶべき背中がない。
この3つは簡単に頭に浮かんできたが、この後が浮かんでこない。
どうするか...。そうだ、博士は県の担当者から詳しい事情を聴き出せと言っていたっけ?
田中は、依頼のあった県の担当者に電話をしてみた。
次回は、『ひとりにならない、ひとりにさせないvol.2 用地屋の孤独感』をお届けします。
田中が県の担当者に電話でヒアリングを行い、詳細な内容を聴き出していきます。どんな不満や悩みで退職者が増えているのか...。実際のところに切り込んでいきます。